2009.6.28産経新聞を抜粋編集
洋食器づくりや研磨産業など金属加工業が集積する新潟県燕市を「産業観光」で売りだそうという大人向けの工場見学ツアーがこのほど行われた。観光をテーマにした新潟県のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「うるおい新潟」で盛り上がり、県内外から42人が参加した。本紙記者も同行し、400年の歴史を誇るものづくりの現場や、職人さんたちの熱い思いに触れることができた。幾多の危機を不死鳥のように乗り越えてきた燕には、ものづくりを支えてきた誇りがいっぱい詰まっていた。(永岡栄治)
一行は19日午前9時半に集合し、まず「富田刃物」と、洋食器のトップメーカー「小林工業」へ。小林工業のブランド「ラッキーウッド」は磨き上げられて酸化被膜が張り、輝きが長く保たれるそうだ。
小林貞夫社長(48)は「お客さまには20年、30年と使っていただいているので、もうかりません。それでも、娘が嫁ぐときに持たせたいといわれたのは、最高のほめ言葉ですね」と職人の誇りをのぞかせた。
昼食は燕三条ワシントンホテルで、小林工業の洋食器を使って、燕ポークや地場産野菜が使われた料理を味わう。「いい食器を使うと、おいしさしか記憶に残らないんです」と小林社長は胸を張った。
午後は燕市産業史料館へ。和くぎから始まり、キセル、ヤカン、洋食器と発展していった燕の歴史が展示された史料館ので最大の発見は、斉藤優介学芸員(31)だ。
とにかくしゃべる、しゃべる、しゃべる。燕の金属加工業の歴史に始まり、戦争や輸入攻勢の波にのまれながらも、不死鳥のように生き延びてきた燕の歴史を語り続る。
「燕の金属加工業の起こりは、信濃川や中ノ口川が度々氾濫(はんらん)し、農家の人たちは容易に作物を作ることができなかったんです。そのため、農家の副業として、和くぎを作り始めたのが始まりとされています。その後、いろりの灰をならす道具『灰ならし』を作った。これ、あれれ、さっき小林工業さんで見てきたスプーンの原型に似ていませんか。そう、これが燕の洋食器の原点なのです」
話はさらに、燕の伝統工芸品「鎚起銅器(ついきどうき)」へ。
「文字通り金鎚で起こして作る銅の器です。1枚の銅板を金づちで打って急須を作ります。この急須の口、つなぎ目がないんです。口出しという技術で、1枚の銅板から口を出します。すごいでしょう。私は、このヤカンの口がたまらなく好きなんですよ」
一考はこの後、その鎚起銅器を造っている島倉堂へ。
2代目の島倉政之さん(40)が銅を金づちでたたいて花瓶に整えていく作業を実演してくれた。みるみる花瓶の形に仕上がっていく。島倉さんが「同じ所をたたいたら切れてしまう」と職人芸の奥深さを語ると、そこへ父親の板美さん(72)がやってきて、「金づちやプレスの道具もすべて、おれが造ったんだよ」と話し始める。作業場にはさまざまな種類の金づちがずらり。ものづくりにかける父子の迫力に圧倒されっ放しだった。
最後に、シルバーアクセサリーなどをOEM(相手先ブランド)生産する「倉又製作所」を訪れた。社長の倉又清彦さん(44)は「うちがオリジナルブランドを売り出そうとしても、デザインや営業の力がない。だから、作業に見合った工賃がなかなか取れないんです」と、燕の金属加工業者が抱える悩みを明かした。
ツアー後の懇談会では、「ものづくりの現場はすごい」「工場だけでなく、中の人間が面白い」「素材はそろっており、すぐ商品化できる」と参加者は興奮を交えて感想を語り出した。今後、燕商工会議所などが中心となって産業観光を売り出していく。
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工場見学ツアーを催すきっかけは、ビアカップから航空宇宙部品まで手がける金属研磨職人集団「磨き屋シンジケート」を立ち上げた燕商工会議所産業振興課長補佐、高野雅哉さん(44)が今年3月、SNS「うるおい新潟」で書いた日記だった。
「磨き屋シンジケートの視察に年間2000人訪れるが、見学した工場や職人さんにお金が落ちるシステムがない。皆様の知恵をちょうだいしたい」
この書き込みに、次々と反応が相次いだ。
新潟県はNHKの大河ドラマ「天地人」の放映や地元国体、JRのディスティネーションキャンペーンが開かれる今年度を「大観光交流年」と位置づける。
国土交通省から昨年度に出向し、初代の県観光局長として旗振り役を務める坂巻健太さん(39)は「今年はある程度、軌道に乗せることができた。問題は来年だ」と頭を悩ませてきた。そのヒントになったのが、燕をモデル地区とした産業観光の売り出しだった。
全国の例に漏れず、燕の金属加工業も世界的な不況の荒波を受けている。倉又さんは「地域の工場がどんどん静かになっていった。仕事がないなら、外から人を呼んで現場を見てもらおうと話がまとまった」と話す。
実は高野さん、坂巻さん、倉又さんも、SNS「うるおい新潟」の中心メンバーだ。SNSで活発に話し合い、すでに今回を含め4回の工場見学ツアーを企画している。このSNSには約500人が登録し、観光や地域おこしで活躍する県内外のメンバーが日々活発な議論や情報交換を繰り広げている。
高野さんは日記にこう記している。
「燕の工場で作られている製品が確かなもので、そこに従事している製造業のストーリーを一般消費者に知ってもらいたい。燕は400年、金属で日用品を作り続けてきた。この歴史や風土をみんなに知ってもらい、燕をブランド化していきたい」
「MADE IN JAPAN」のプライドが、ここ燕にはしっかりと息づいていた。